日記-4

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41日 日曜

49日目―スーパーまで500メートル

晴れた日曜のクリケット

その夜、小さなスクーターに乗った奴とその仲間が辺りを走り回っていたので、眠りは妨げられた。ポールとトムは眠っていたけれど、僕は何度も寝返りをうって眠れなかった。でも、おかげで僕は月明かりで小便ができたけどね。トムは朝の6時半に飛び起きて、ポールと僕もそれに続くようきっぱりと言った。トムはとてもいい奴さ、でも僕は学生の習慣を守りたかった。お腹が空くまで起きないっていう習慣をね。その日は、日光浴をしたり、泳いだり、横になったり、石と光るサーベルを見つけたので「ジェダイ・クリケット」をして遊んだ。

ベンによる個人ノート:「僕が歩き始めて1週間過ぎた。たまにこれだけしかやっていないような気分になるけど、新しく生まれ変わったような感じもする。今週かなりきつかった身体的な葛藤とは別に、毎日心の葛藤が生まれる。23度、家に残っている人たちのことを思って涙が出そうになった。今までの人生で、誰か恋しくなったら受話器を取って電話するだけでよかった。でも、ここは遠く離れている。けれども、この歩く旅はやる価値がある。たとえ地雷が取り除かれた土地を将来見ることがなくても、それは僕たちがやったのだと思えるのだから」

42日 月曜

50日目―45km

四国へようこそ

One of Shikoku's massive bridges今朝は、警察に追い出された。僕たちがキャンプをした土地の持ち主が、僕たちの乱暴な態度(フレンチ・クリケット)のことで苦情を言ったのだ。今日は、きれいなビーチを通り過ぎ、大きな橋を渡って、かなりの距離を歩いた。最も長い橋は4キロもあった。僕たちは、四国に着いた。今までで1番長い距離を歩いたので、お祝いに豚肉、牛肉、鶏肉をいっぱい買いこんだ。雑草の生えている所でキャンプをし、人目につかないように2人用のテントで3人の体を押し込んだ。でも、これはあまり意味がなくて、近所の人が僕たちのバーベキューの匂いにすぐに誘われてきた。

43日 火曜

51日目―29km

お遍路歩き

窮屈な夜が明けて、次の朝みんなあまりやる気が無かった。その日のハイライトは、日本人の巡礼者(お遍路さん)に会ったことだ。その人は、四国八十八ヵ所を回るために1000キロも歩いていた。ベンは、屋根の瓦を頭で割って、老人からチャリティーのために3000円もらった。古い小屋にキャンプをし、そのぼろぼろの床の上で寝た。

石鎚山(1982m8番目の山)

44日 水曜

52日目―18km

2度目のラッキーと眺めのいい部屋

One of Ishizuchi's marvellous viewsThe peak of Ishizuchi心地よい夜の眠りは、早朝の地震に妨げられた。登山途中、ポールとベンが何よりも大好きなロッククライミングに格好の岩をいくつか見つけた。ふもと付近の木が茂った登山道で昼食をとった。ほとんどの人たちはスキーゲレンデがある1300メートルあたりから登り始める。僕たちは雪や氷で滑らないようにロープを靴に巻き付けて、岩石の表面に3070メートル伸びている3組の鎖を登り始めた。しかし、表面は氷で覆われていて、アイゼンとピッケル無しで登るのは無理だった。頂上まで比較的楽な道を選び、この氷の世界にもかかわらず僕たちはそこでキャンプをした。時間的に遅くなっていたし、景色がすばらしかったからだ。

45日 木曜

53日目―32.5km

やっと、清潔!

Mat, his boss, his wife, their restaurantは星空の下で寝て(あほか)、気温はマイナス5度くらいまで下がったけれどみんなよく眠れた。山を下りてから、昼食をとり、とても透き通った川で日光浴をした。僕(トム)はヘビを踏んでしまったけれど、毒蛇かどうか分かる前に消えてしまった。村で英語の先生をやっているオーストラリア人のマットに出会い、彼がシャワーを使わせてくれたので10日ぶりにしっかり体を洗えた。そしてその夜、彼の上司が自分のレストランで泊まってもいいと言ってくれた。

46日 金曜

54日目―40km

土砂崩れで回り道

朝は、川沿いを歩いた。そこには、クライミングに適した岩がもっとあった。お昼の間ベンとポールは、難しいオーバーハング(岩壁や氷壁が頭上に覆いかぶさるように突出したところ)を攻略しようとがんばっていた。その後、巨大なダムの周りを歩いて1日は終わった。最近あった土砂崩れのせいで、信じられないほど曲がった回り道をしなければならなかった。ダムに注いでいる川のそばでテントを張った。

47日 土曜

55日目―33.5km

珍獣

また暑い1日となり、誰の足も動かなかった。お昼が食べられて、しかも泳げるいい場所を見つけ、ポールはお決まりの「水がどれだけ冷たいか言う間もなく飛び込んで慌てて上がってくる」をしていた。昼食後、サルが道路を渡って森に入っていくのを見た。また、あまり人目に触れない動物、日本カモシカも見た。夕方、4本の橋の隣にある砂利の水辺にキャンプ場を見つけ、カードで遊びながら夜遅くまで起きていた。

48日 日曜

56日目

四国ロック!

Ben bouldering休息日。いつもよりもたっぷりロッククライミングで遊んだり、日光浴をしたり、魚を釣ったり、泳いだりした。ポールは買い物に行かなければならなかった。彼の大好きなコンデンスミルクを切らしていたからだ。

ポールが書いた9日の日記…

49日 月曜日

57日目―46km

おかゆ!

この日は、ものすごい量の朝食で始まった。その中に試験的なおかゆもあった。アルプスを登る時に適している食料は何か、僕たちは常に考えている。おかゆの材料は、パン粉、お湯、コンデンスミルク、パイナップル。味よりも匂いが結構ひどかった。

実は、その日の午前中ずっと何か食べていた。キャンプ場を出るときに、いろいろな食材の袋が100円で売られているかごを見つけた。僕たちは、集金箱にお金を入れていくつかもらった。人の正直を信じるここの様子にはびっくりさせられる! 9時半頃、道でごつい感じのトラックの運転手に呼び止められた。車からかごいっぱいのお菓子を取り出すと好きなだけ取っていいと彼は言った。

その後、キャンプ場を目指して1日中ひたすら歩いた。2回も車に乗せていってくれるという申し出を断って、結局キャンプ場は見つけられなかった。でも、寝るのにとても心地よい野球場を見つけた。

剣山(1955m9番目の山)

410日 火曜

58日目―18.5km

登山の日!

Not quite Sumo wrestlersBen makes his fearless crossing of the rope bridge山頂が緑で覆われているという点では、最もイギリスらしい山。その緑は、笹だけどね。適した季節のおかげで、所々笹は腰まで高く道を隠していた。剣山はごろっとした巨岩だった。その日はすばらしい日で、最高に楽しい登山だった。僕たちの取ったルートに大昔のかずら(つる)橋がかかっていてベンは興奮した。到着したときからその橋のことを話していたのだ。その日は早くキャンプをした。昨日46キロ歩いたし、今日は3つも峠を越えたから自分たちへのご褒美だ。焚き火が消えると、星空の下で僕らは寒さに震えた。鍵のかかった山小屋のとなりで。

411日 水曜

59日目―34km

ベンは言った。有名な日本の花が登山道で満開になっていて、その美しさを味わうことができるなんて僕たちは年をとったにちがいない、と。僕たちは、親切なピクニックをしていた人たちからもらったオレンジやお茶も味わった。多くの人が桜を見に外に出ていた。今日は、村の食料品店で食べ物を手に入れる苦労をして3日目になる。朝、例のおかゆを食べなければならない2日目でもあった。おかゆは、食べられるものだったし、結構いける。

412日 木曜

60日目―40km

田舎者

Camping in the park今日一番楽しかったことは、賞味期限切れのパンの袋と試食品があるスーパーマーケットに行ったことだ。今日もまた長距離を歩き、丘の上にある徳島の中央公園でキャンプをし、お寺の隣にテントを張った。僕たちは町の真ん中で料理に意味も無く時間をかけたけれど、ストーブにかけられた結構いけるベジタブル・シチューを飲みながら、町中を歩くことと町から町へ大きな道を歩くことの違いを話し合っていた。町中の方が危険だ。歩道は、歩行者だけでなく、たくさんの自転車が両方向に行き来するからだ。

413日 金曜

61日目―35km

親切な警察官、厳しい方針

この旅の目的のひとつは、公共の乗り物をなるべく使わずに百名山を徒歩で結ぶことだ。四国の東にある橋を徒歩で渡るのは違法だった。サインすべてに絵があったので、「外人だから分かりませんでした」という切り札を出すわけにはいかなかった。僕たちは地元の交番に引き返し、僕たちの事情を考慮してくれるように頼んだ。しかし、道路局と話してくれたにもかかわらず警察官は僕たちのために法を破ってはくれなかった。ここで知らないふりはできない。それから何回もねばったが、とうとう僕たちはあきらめた。すると、その警察官は適当なバス停まで乗せてくれると言ってくれた。無駄に使った時間を埋めるために夜遅くまで僕たちは歩いた。

414日 土曜

62日目―44km

ベン、土曜の痛み

ベンは、3週間続けて土曜になるとたちの悪い症状に苦しんだ。最初はお尻が変で、次にすねが痛くなり、今日は膝が悪い。それでも、海岸を下り、町を抜け期待通りの歩きができた。夏に開くサンビーチという名前の海水浴場でキャンプをした。波の音が耳を包み、やしの下で眠りについた。

415日 日曜日

63日目―0km

サンビーチ

ごはんをたくさん食べながら、槍で魚を釣り、日光浴をし、手紙を書いて、ボルフ(トムが考えたゴルフとベースボールをミックスしたもの)で遊んだ。午後、仲のいい若いカップルにビーチで出会い、僕たちは一緒にコーヒーを飲んだ。その女の子がポラロイドでベンの写真を撮り、彼の愛するダニエルに送ってくれると言ったので、ベンはとても感動した。美しい夕焼けで、その日は終わった。休息日はこうでなくちゃ!

執筆分担―ベン、トム、ポール

416日 月曜

64日目―43km

橋渡し

朝、足早に歩いて淡路のバス停に到着。僕たちと日本第二の大都市圏神戸・大阪の間にある海を見下ろした。思い通りにならない2番目の橋も見えた。車線が6本もあるくらい道は広いのに、バックパッカー用の道はまったく無い。人と車で混んでいる道に戻ると、とても変な感じだ。その日の終わりには大阪方面へいい具合に進み、眠ることのできる小さくてきれいな遊び場をやっと見つけた。都会は決して眠らないが、僕たちはビザの日に備えて公園のベンチで丸くなってうとうととした。

417日 火曜

65日目―35km

ビザはノー・プロブレム

滞在するべきか、せざるべきか?

僕たちは、日本に滞在してこの旅を達成できるか権力者にお伺いを立てる。

夜明けのコーラスの話をしよう。日本人は一晩中働いているようだ。不思議な光景で目がさめた。公園管理人が、と言っても大きな黄色のジャケットを着ている公団の職員ではなく、中年の女性67人がほうきとちりとりを持って忙しく働いていた。朝の5時にだよ!それから最後の手段は、僕たちがこの公園のことをすぐに忘れないように、僕たちが朝ご飯を食べている時に公園のベンチで寝泊りしている男性が賛美歌を歌っていたことだ。人のいいおじいさんだった。

入国管理所を探して大阪の大通りを歩いていると熱気で体が火照り、日本に滞在するための更新が迫っていると思うとちょっと不安になってきた。でも、1時間半くらいでオフィスに着き、僕たちは晴れて新しいビザの持ち主になった。あとは、外国人登録をするだけだ!

上機嫌で食べ放題のレストランとキャンプサイトを探しに出かけた。途中、男が言い寄ってきて、自分の娘を僕たちの所に遊びに行かせたいから友達になろうと言ってきた…すごく変な奴だ。言うまでもなく、その男のせいで時間を無駄にした。そして、もっといらついたことは、食べ放題のレストランがキャンプしたところから200メートルくらいしか離れていなかったのに気が付かなくて、またラーメンになったことだ。

418日 水曜

66日目―35km

超お役所仕事

質問―外国人登録はここではできませんと言うのに、いったい何人の日本人が必要でしょう?―答えは、以下の通り。

川沿いのキャンプをたたんだ後、自分たちを外国人として登録するために大阪の南30キロのところにある富田林の市役所に歩いていった。昨日がうまくいったので、これも簡単にいくだろうと予想していた。

2時間後、僕たちは市役所から出てきた。その建物の中で、僕たちは住んでいる町で外国人登録をしなければならないと、女性6人がかりで言われた。僕たちのテントは安定した住所として見なせないから、必然的に僕たちはおもしろい立場に置かれた。その日それから、みんなでいろいろと案を出し合って、この問題を解決する方法を見つけ出そうとした。

419日 木曜

67日目―35km

バースデー、バーガー、バスタブ

The Onsen誕生日は年に1回やってくる。お風呂に入るのは、それよりほんのちょっとだっけ多くやってくる、かな?

ポールとベンは、朝の5時半にハッピー・バースデーを歌って僕の鼓膜を破ることにしたらしい。ろうそくは吹き消され、ケーキは腹におさまった。そして、4日分の食料を買いに次の町へと出掛けた。次に登る紀伊半島にある2つの山に取り掛かるのに必要な分だ。買い物をした後、マクドナルドが65円でバーガーを売っているのを見つけた。3人で18個食べた後、大淀区を出てから温泉を偶然見つけた。2週間ぶりに体をきれいにするこのチャンスに僕たちは飛びついた。入湯料800円は大金だったし、カウンターにいた女性たちは僕たちをうさんくさそうに見ていたけど、それはどうでもよかった。長くお湯につかり、酔ったやくざに足のマッサージを教えてもらった後、山に向かって出発した。

八経ヶ岳(1915m10番目の山)

420日 金曜日

68日目―35km

観光案内所の職員に煩わされた後、山頂で日焼けをするために上半身裸で雪の中を歩く。

Paul and Ben not quite as eager for the photo重い荷物を隠し、身も軽く、ぎらぎらしている太陽の下で、緑に囲まれた尾根を歩く気分は筆舌に尽くし難い。

お風呂に入った後、山に向けて力強く進んだにもかかわらず、登山口までまだ20キロもあった。山に入る前に最終地点の村で短い休憩を取っていると、隣の観光案内所の男に声をかけられ、しつこく歩くコースと連絡先の詳細を教えろと言ってきた。いまだに電話が来ないので(22日の日記参照)、ヘリコプターが僕たちを探すために緊急出動していないことを願う。

尾根への急な上がり坂の後、僕たちはバックパックを放り出し、10番目の山になる八経ヶ岳の頂上までの残り6キロを、日焼けをしようと上半身裸でゆったりと歩いて行った。緑に囲まれたうねった尾根を歩くのは楽だったが、残り1000メートルのところで急な坂とどろどろの雪に直面した。膝丈の雪でよく転び、歩くのが少し嫌になった。しかし、山頂に雪は無く、本当の日光浴を楽しんだ。

その夜、尾根の高い所でキャンプをした。見るからに山登りを熟知していそうな日本人2人に、僕たちが目指していた湧き水は枯れていると言われたので、そばにある少し残っている雪を水に使った。

山上ヶ岳

421日 土曜

69日目―27km

女人禁制の聖山

The sign barring Women further progress up the sacred peakこの場所にいる機会をみすみす逃すこともできず、11番目の山に向かう前に他の山、聖なる「男性限定」の峰に登るため少し回り道をした。

八経ヶ岳は、40キロもある尾根の中にある山のひとつだ。土曜の朝、僕たちは鎖場、はしご、いくつか他の峰、存在しないと言われた湧き水のある、とても楽しい道を選んだ。1日中雨が降っていたけれど、それほど寒くはなかった。

ブラジャーが木のあちこちにばら撒かれていることから判断すると、今この時代に山上ヶ岳が公式に女人禁制である事実に不満のある女性がいるのだろう。日本語と下手な英語で書かれた公式の女人禁制の看板を通りすぎると、こうした抗議行動は無くなった。何人の女性が実際この山頂に登ったか、今でも僕たちの中で議論になる。

崖の上で人がぶらぶらしていたが、そこで見たものといったら、山頂のお寺、大きな鉄の下駄、くさいトイレ2つと、悲しいことにゴミの山だけだった。

ここのお寺は夏しか開いてなかったので、僕たちはこのお寺がとても大きいと言いながら周りを見て歩いた後、自分たちの荷物に戻って谷に下りて行った。僕たちの見たものから言えば、女性は登れなくても損はしていない。

雨が続いたので、その夜はバーベキュー場の屋根の下で寒さに震えた。ある季節になればにぎやかになる所だろう。道は間違えたけれど、いい場所が見つかった。

422日 日曜

70日目―11km

小さな旅、大きな風

Clear running river休息日には誰も歩きたくなかったけど、今日歩けば次の日すごい距離を歩かなくていい。

今居る場所からだと、月曜日は山を52キロ歩かなければならない―どう考えても楽しいはずがない。さらに、ロンリー・プラネットによると11番目の山はとても険しそうだ。結果、荷物をまとめ僕たちは歩き出した。ああ、せっかくの休息日が…。

最初のうちはよかった。明るい青空の下で、ダムの周りを歩き、とても澄んだ川を登った。午後に入るとすぐ、風が強くなって、選んだ砂利のビーチに僕たちがテントを張るのが困難になった。ほとんど午後中、風をよけるためだけにテントの中にいた。太陽は照っていたのに残念なことだ。でも、洗濯物はいっぱいたまっていたけれど、これでやらなくていい口実ができた。

また、今日になって、3ヶ月有効と言われた携帯のプリペードカードが30日しか続かなかったことが分かった。残念ながら、これで2週間も通信ができなくて、新聞社からの電話をいくつか逃した。今現在、通信活動は回復している。

週のまとめ:また、両極端な週だった。木曜までの前半は、入国審査とお役所仕事で疲れて、とてもいらいらした。週の後半は、温泉、やくざ、山と村ですぐに良くなった。

日出ヶ岳(1695m11番目の山)

423日 月曜

71日目―32km

ダムを間違えたって言ったら、素人っぽいかな?

At the top of Hide-ga-takeロンリー・プラネットの地図が不正確だと朝の間ずっとぶつぶつ言っていた。奇妙なことに、まったく間違っているとも言えなかった。僕たちはダムの右側を歩き、とても澄んだ川に沿い、その川に山小屋があり(間違った場所だろうが何だろうがそこにあったのだ)、そして基本的に正しい場所で川に沿って道が脇にそれていた。

6時半にキャンプを出発。渓谷を登り、滝を通り過ぎ、滑る岩を越える15時間の厳しい山登りへ精神的余裕を持つためだ。午後3時半、日光に照らされたキャンプに戻り、昼食を取った後、日光浴をするために結構な時間を費やした。

森林に囲まれた傾斜が1度くらいの道を歩いている時だった、僕たちはロンリー・プラネットガイドに示されている道にいないかもしれないと気がついたのは。地図上で、ダムが恐いくらいとてもよく似ている。僕たちのダムがより山に近かったから、それが僕たちの向かっているダムに違いない。

11番目の山は簡単で、日本の登山シーズンがどんな感じか経験させてくれた。つまり、混んでいた。道は森を抜けてくねくねと曲がり、標高1400メートルくらいで山道に行き当たった。その道を行くと、山小屋村、案内所、バス停、トイレがある観光村に出た。山開きが2日に迫っていたので、そこではいろいろなことが起こっていた。村から2キロじゃり道を歩くと山頂だった。景色だけはすばらしかったけど、全体的には少しがっかりした。

日曜日も歩いたから、帰り道でキャンプをすることにして、その夜は焚き火でマシュマロを焼いた。

424日 火曜

72日目―40km

頼れる男、いなくなる

ダムの向こう側を歩いて帰るのに午前中いっぱいかかった。道路にあった地図には、その方が近道に見えた。でも、どういうわけかどの峠道も正しく表示されていなかったのだ。

やっとダムの端に着いた時、東京にいる僕たちの仲間、トム・ジェームズに電話して、まだ僕たちは生きていることを知らせた(例の電話のトラブルがあったので)。残念なことに、彼のインターネットカフェが閉鎖になったので、在宅通信員はもうできなくなったと言う。とても残念!

それからその日は、小さな村を抜け、川に沿ってぶらぶらと歩いた。1日の終わりにはすこし霧雨も降ってきた。その晩は、ピクニック広場にキャンプをして、テーブルで夕食を取り、前菜に朝食の分を少し食べて、夜遅くまで話をした。

425日 水曜

73日目―35km

キムチ・サンドイッチ

とてもうっとしい暗い雨の朝は、ベンの晴れた顔で明るくなった。麗しの彼女ダニエルとやっと電話がつながった後だから、今奴の気分を害するものは何もない。

でも、午前中雨がずっと降っていたので、気分を盛り上げるために雨宿りをして2回目の朝ご飯を食べた。公共の場でストーブに火をつけると、通り掛かりの人たちからすばらしい表情を引き出せた。ピクニック広場以外で物を食べている光景は珍しいから、僕たちはすこしだけ日本を国際化しているんだと思った。お昼には雨も上がり、マクドナルドのハンバーガーでお腹を持たせて、お昼に辛いキャベツの漬物サンドイッチを食べた。

食べ物に関するかぎり、お昼は粗末なものだ。100円コーナーで売っているお菓子のパックにみんなうんざりしてきた。ほとんどのパックで、ベンは実際気分が悪くなっていた。

外国人登録のためにリン・ドナルドソンの住所が使えることになりそうだ。僕たちが突然彼女に電話をして助けを求めた時は、僕たちを怪しいと思ったに違いないけれど、ウェブ・サイトをよく見た後に怪しくないと分かってくれた。

426日 木曜

74日目―40km

バーガーばか食い爆裂!

今朝、橋の下で目が覚めたらとても寒かったので、ちょっとだけ長く横になっていた。やっと、太陽が辺りを暖め、僕たちは寝袋から這い出し、市街地を抜けようと歩き出した。

午前中、ベンが不意にこんな疑問を口にした「1度にどれくらいハンバーガーを食べられるか?」

チャレンジすることになった。朝の休憩を抜かし、昼ご飯用のお金と僕たちのポケットマネーを注ぎ込んで、その質問に答えを出すことにした。カウンターにいた女性は、トムが最初に21個ハンバーガーをオーダーした時に本当に感謝していた。たぶん、あまりお客さんの来ない朝だったんだろうね。トムは7個で止まったけれど、バーガーだけを食べるんじゃなくてマフィンとお代わり自由コーヒーを賢く選んだ。ポールとベンは二桁をマークした(10個と12個)。それから、ハンバーガーでは実際満足できないと分かり、これ以上お金を無駄にしないことを決めた。ベンは、お腹が痛くなるまで20個はいけると思っている。

ある意味、この一件はまったくの無駄ではなかった。今65円でハンバーガーを売っているとしても、マクドナルドに駆け込む事はなくなったのだから。

427日 金曜

75日目―35km

宇宙時代のトイレ

前の晩キャンプをした所は、そのうち絶対誰かの家になるにちがいない。道路はあるし、土地は平らになっているし、水はあるし、その上すばらしいことに村のスピーカーシステム付きだ。おかげで朝のニュース(夜は童話だった)と朝の体操を聞くことができた!

晴れたその朝、僕たちは結構歩き、8時半には町に着いてスーパーが開くのを待ちながら1時間半日光浴をしていた。僕たちの選択肢にとても遅い昼食というのがあった。時々、人間は日に焼けないといけないのだ。それから1時間半いい歩きをして朝は計3時間歩き、昼食を取るために止まると、ちょっと眠ってしまった!  1時間後目を覚ますと、僕たちが休んでいたそばの滝に遊びに来ていたカップルが、とっても怪訝そうな顔をこちらに向けていた。

ベンは、自動的にお尻を洗って乾かしてくれるトイレを初めて経験した。

その晩、リンから電話があった。僕たちが外国人登録をしようとしていた月曜日は、日本の休日なんだとか。彼女は親切にも火曜日まで僕たちを家に泊めてくれると言う。それは、とても楽しみだ。2日も休めて、しかもインターネットのアクセスもある!

428日 土曜

76日目―30km

琵琶湖

朝は、ぎらぎらしている太陽の下をだらだらと歩いた。何キロも続く歓楽街を。それは、とっても惨めだった。しかし、気分がちょっとだけ良くなることがあった。休憩時間にコンビニの外でだらだらしていると、でかい葉巻をふかした「チンピラ」が店から出てきて2リットルのミネラルウォーターを僕たちに差し出した。彼は一言もしゃべらなかった。

午後は、歓楽街を抜けて、日本最大の湖―琵琶湖に向かったのでとても気分が良くなった。僕たちが取ったルートは、今までに見たこともないようなとても平らな農地だった。正真正銘の平野だ。どっちにしても日曜日は歩かなければならないから、その日の夕方は湖の遊泳場で早めに切り上げた。その日は、美しい夕焼けで終わり、マシュマロをもっと焼いて、湖のほとりで横になった。

429日 日曜

77日目―15km

リン・ドナルドソン

ベンはずっと前から食べ放題レストランは存在しないと決め付けていた。そして、実際に11時半からランチ食べ放題のレストランを見つけた時、その思いは最高潮に達した。湖のそばで、残り少ないマシュマロを焼きながら何時間も店が開くのを待って、日曜日は開いていないことが分かりがっかりしてレストランを後にした。これで、ベンの不信感は2倍に膨れ上がった。

リンは、約束の1時間前に僕たちを見つけた。僕たちが町の商店街の外で集まって座り、突然降ってきた雨を避けてお昼を食べていた時だった。午後は、彼女の洗濯機と風呂場の排水管を僕たちの汚れで詰まらすのに時間を費やした。その晩は、日本の変なデート番組を見ながら、ごはんをたくさん食べ、「スターウォーズ・エピソード1」の前で居眠りをした。文明だ!

週のまとめ:みんなにとって精神的におかしな週だった。やる気が無くなってきて、だんだん日を追うごとに休憩時間が長くなっていった。以前よりも短い時間でいい距離を稼ぐことができるのだから、僕たちは強くなっているのは間違いない。以前は、13536km歩くのに1日費やさなければならない時もあった。しかし、僕たちが決心をすれば、今なら1日平均40キロは手の届く範囲にある。この週は、予想していたよりとても簡単だった山登りから始まり、2度目の外国人登録を挑戦するところで終わる。これでうまくいかなければ、すぐに東京へ戻らなければならないだろう。そうならないことを願おう。

けがについて:親切にも多くの人が、僕たちの体は大丈夫かと尋ねてくれる。ありがたいことに心身共に、僕たち全員とても健康だと言える。いまだにマメは、時々そのいやらしい頭を上げるし、これからも旅の間ずっとそうだろうけれど、ここしばらくマメの痛みにマジに悩まされている奴はいない。サンダルが原因で、みんな足が割れて悩まされている。トムの足の親指が多分最悪だと思うけれど、彼のペースは絶対に落ちなかった。ポールの脚はよく朝に硬くて曲がらないけれど、こんな不快にも男らしく耐えている! 前に問題だった膝とかかとは今月は全然平気だった。ベンは、時々脚のあちこちの痛みに悩まされているが、痛くなってもすぐ消える。全体的に、みんな元気だ。

430日 月曜

78日目―0km

お城、インターネット、食べ物の山

Hikone Castleポール―「リンの家で何週間かぶりにトーストとシリアルのある朝食を取った後、日本で原型をとどめる4つの城の1つである彦根城の周りを午前中散歩した。

リンが食べ放題のサラダバーとアンチパスタを出すイタリアンレストランを知っていたので、お昼は軽く済ませ、インターネットに接続した。Eメールを読んだり返信するのに駆られて猛烈に午後は過ぎていった。

僕たちにメールをくれたみんな、ありがとう。キャットとティム(彦根に居る他のJET*の先生たち)もディナーに参加し、サラダとアンティパスタのバーに何回も往復しながらその晩はたくさん笑って楽しい時間を過ごした。やっと、ベンは食べ放題の存在を信じた。

*JET ―「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称

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