日記-3

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高岳 阿蘇山(1592m

31日 木曜

18日目

ガレ場は最悪、やっかいな登山、簡単に滑る、泥流をおこしかける、服は破れる、脚を痛める

Tom and Paul at the top of Takadake, one of the peaks in the Aso Caldera 午後1時半に出発。トムの足は「ピストン」のようだと、少し苦戦しだしたポールは言う。頂上は横殴りの霰に見舞われ、凍えるような寒さだった。ガレ場がどろどろで滑りやすく登山は困難を増した。時々、まわりの低い木をつかんで上に体を引っぱらないと前に進めなかった。

それに比べて、下るのはとても速かった。時々速すぎたので、トムはゴアテックスのジャケットを破いてしまったけれど、ちょっとむかついただけだった。直せば「筋金入りの山男」に見えるからね。ポールは、阿蘇山の下りで足が曲げられなくなるほどのけがをした。そのため、早めにキャンプする。次の朝、洗った服が凍った板になっていた。

32日 金曜

19日目

よくなった脚、つかの間の休み、そして続く…

more walking for Paul朝にはポールがすっかり回復した。昨日早めにキャンプをしたおかげで、休みを何日も取られなくて済んだことになる。次の山に進む。

九重山(1787m)

33日 土曜

20日目

ついに景色、お風呂、ひげそり―いつも夢に見ていた温泉の醍醐味

Mt Kujo九重山に登った。ここの景色はとても良く、高いところに登っているからこそ見られる景色をやっと望むことができた。すると、比較的楽にやる気が湧いてくる。山の温泉場で初めてお風呂に入り、ひげを剃った。標高1100メートルでキャンプ。水場に近かった。

34日 日曜

21日目

また、ちょっとお休み。

A croquet tournament4日間で山を3つ登ったのだから、3日間の「よくできました」休暇。

初日、雪のために1日中テントと寝袋の中に閉じ込められる。

もはや九州にある山はすべて攻略し、本州の大山目指していざ北へ。大山は尾根を渡るのが難しく、日本で最も手ごわい山のひとつと伝えられている。実際、ヒマラヤに行く前に練習する山として登山家に利用されている。そこまで歩いていくのに2週間はかかるだろう。

今までの歩行距離は、約522キロ/311マイルだ。百名山のうち6山は片付いた。

彼らは、今のところ11537キロのペースで歩いているが、もうすぐ140キロまでいけると信じている。今すぐトムにそれができても、ポールは自分がまだ100%その状態ではないと認めている。しかし、1週間ぐらいでふたりともエンジン全開の状態になるだろうとポールにも自信がある。

35日 月曜

22日目

寒い1日。

Cold walkingひたすら歩く、10センチ程の雪、とても冷たい。暖かく着込んでいたけれど、それでも寒かった。この週は距離を稼いで、九州からできるだけ早く出たい。

36日 火曜

23日目

あまり湿らない静かな夜

打ち捨てられた狩猟小屋の中でキャンプした。雨をしのぐ避難所として完璧だった。外でテントを張ったときに比べれば、雨がテントに反響しない分ずっと静かだった。

37日 水曜

24日目

意思を持つ道、迷惑な地図、かなり時間のかかる厄介な道のり

A bit of a scrambleこの日の最初の計画は、元気なうちに30分で大きな登山道を見つけてしまおうということだった。しかし、そうはいかないよと言うようにこの道はふたつに分かれていた。シカの足跡をたどりコンパスの方角に藪を切り開いて進むこと5時間。地図が少々難ありで、見えている山頂が間違った高等線を示すので、結果彼らを間違った山に導いてしまった。さらに5時間、背丈より高い笹の中を突き進み、密集した木の間を一歩行くごとに装備をつかっけながら進んだ後に、やっと着いたのが意図したところよりかなり東だったのだ。午後、やっと平らで開けた場所に出た。

38日 木曜

25日目

雪、文明、テントを持ってさまよう、たっぷりの夕飯

A gnarled tree overlooks the seaほとんど1日中雪が降っていて、時々雪が通り道で吹き荒れるので視界が悪くなった。午後には北九州市にいた。本州に入る前の大きな都市だ。市の公園にキャンプできるように夕方までぶらぶらしていた。九州の旅を達成したことを祝って、食べ放題に出かけた。2人とも70分かけていろいろな肉や野菜やご飯を満足するまで食べた。海岸通り沿いでキャンプ。

39日 金曜

26日目

携帯電話、地下を走る人たち、痛む関節。

Their home from home携帯電話を買うために独占された日。これに3時間もかかっている間、サービスのおかし3個、コーヒー1杯、ソフトドリンク3杯が出てきた。そこの女性は、基本的な使い方を一生懸命英語で教えてくれた。それから、歩道トンネルを通って九州から本州に渡った。そこでは、悪天候を避けて運動のために走って往復している人たちがいた。疲れが出た上に肩と脚が痛くて、午後の歩きはちょっとした戦いだった。夜、手ごろで静かな樹木の茂った場所を見つけてキャンプし、十分に休養を取った。

310日 土曜

27日目

うわっ、キャンプしちゃまずい場所だ。

朝食はさえぎられた。どうも、シカ狩り場のど真ん中にキャンプしていたらしい。その前の晩シカをいっぱい見たけど、幸い弾丸は飛んでこなかった。

311日 日曜

28日目

トム、旅の第一段階達成を語る。ベン、この旅3人目のメンバー、彼の考えを語る。旅について、これまで待っていたことについて、他のメンバーと合流するためやっと旅立つことについて。

A shadow of his former selfトム―「旅はうまくいっている。天気は、おもしろい。何日かTシャツ短パンで日光浴をしていると思えば、次の日着込めるだけ着込んで嵐の中を歩いている。僕たちの体調はまあまあだ。ポールは、5から56ほどマメができて、ひざとかかとを痛めているけど、それも良くなってきている。僕はいたって元気だけれど、リュックサックがすでに4か所も破れている。(これは寄贈された装備以外のものです―パブリシティー参照)僕たちは、百名山のうち九州の6山すべてを登り、九州から本州に渡る第一段階を達成した。311日付けで722キロ(451マイル)を4週間で歩いた。九州の美しさと人々のやさしさに感動した。日本の残りの土地を見るのが楽しみだ」

ベン―「チームとして、1年以上もこのチャリティーの旅に向けて準備してきた。ポールとトムに合流するだけとなった今、やっと僕がこれからしようとしていることが本当に分かるようになった。僕はあまり計画的な男ではない。学位を取って大学を卒業することだって驚きなのに、すんなりこの旅にとりかかることができるなんて…。これもトムとポールがよく準備してくれたおかげだ。彼らがイギリスを発ってから4週間。その時間は、彼らと一緒にいたいと思えば長く感じられたし、やらなければいけない勉強の量を考えると短く感じた。

あと、1週間だ。残りの装備がスポンサーから届くのを待って、会談、パーティー、写真撮影に参加しながらいつも僕は旅を始めたいと思っていた。この旅がどのくらい大変か考えたくなかった。ただ、実行したかった。

大学を通じて地雷で苦しんでいるクロアチアの人と接触している。人々に話し、地雷を使用することがどんなに悪いことなのか個人的な理解を得たい。

僕が地雷の危機に対して怒っているとか、むかついているという表現は、とても正確とは言えない。僕がこの旅に参加しようと思った理由は、不幸な人たちをかわいそうと思ったからという次元ではない。僕の中で助けたいという気持ちがあふれ、僕のエネルギーはそこから生まれるようだ。しかし、何かをしたり、それをして成功するという僕の動機は、我々全員見ることのできる現実から生まれている。それは、地下にまだ地雷が埋まっているという悲しく恥ずかしい現実だ。

これは、単に悪いことというわけではなく、へどが出そうなことだ。ポール・マッカートニー卿が訴えているように、僕たちが戦争していたと想像しよう。「戦争は終わり、平和が宣言された。しかし、あなたが車で通勤していると銃弾はまだ飛んでいる。あなたが子供と散歩しに出かけると、狙撃手がまだ木の陰から銃を発砲している。私たちは、このようなことは許せないと思うだろう。しかし、地雷が残っていることとはまさにこういう事なのだ」

僕は自問した。これまで何回、チャリティー活動の訴えをテレビで見てきただろう。どれほど多く、戦争や飢饉で外国の人々が苦しんでいるのを聞いてきただろう。これまで何度、こうした人々の苦境に心動かされ、助けられたらと思い、そして何もしてこなかっただろう。

僕は、この旅をして、アダプト・ア・マインフィールド(UKを支援しようと思った。なぜなら、これは直接この問題の核心にせまり、何の罪もない人々を傷つけ命を奪う地雷を撤去するからだ。人間が命を奪うのではなく生むように与えられたチャンスだからだ。さらに、地雷の被害者が必要としている援助の力になれるからだ。

他の人たちの問題を見過ごすような無関心の自分自身に戻ったりしない。避けようがないことだからといって命を奪ったり傷つけてもいいということにしたくない。僕は、幸い戦争に直面しなくて済んできたし、戦争が終わった後も生活にその影響が及ぶこともなかった。でも、僕は人間だ。カンボジアの子供やクロアチアの男性と同じ人間なのだ。ただ、違うのは僕が理解するには難しい形で彼らは苦しみを味わっているということだ。

関心を持ったところから一歩進めば、必然的に行動に結びつく。そして、行動によってひとりの人間の命を高め、他の命を救うことができるのだ。

僕がこの旅をするとか、それがアダプト・ア・マインフィールドのチャリティーのためになるとかは、ある意味あまり大切なことではない。本当に大切なのは、自分の持っている時間、技量、愛の全てをきちんと役に立てているかだ。これから9ヵ月、僕は地雷による危機に脅かされている人々と神のためにベストを尽くしたいと思っている。

312日 月曜

29日目―2.5km

ぼろ屋からシャンデリアへ

Dean and Miho今日は選択肢が2つあった。1つ目は前に進んで35キロほど稼ぐ。2つ目はほんの2.5キロ歩いて日本十景のひとつで一日過ごし、豪華な食事をし、日本で11番目にランクされているホテルでお湯につかる。

2つ目の魅力に抵抗はできなかった。オールトラリア人のディーンと奥さんのミホはそのホテルの従業員で、僕たちが歩いているのを見かけ大丈夫か声をかけてきた。彼らは骨董品を探しにによく出かけていて、僕たちが大きな家具の移動を手伝った代わりに忘れられない1日をプレゼントしてくれたのだ。

その他のハイライトといえば、2週間前僕たちの大きな力になってくれたペニー・ビートンが電話をしてきて、チャリティー・キャンペーンの振込口座が開いたこと、今彼女がビザ延長の問題に取り組んでいることを教えてくれた。その晩、とってもゆったりとし、ふかふかのふとんの上で寝た。気持ちいい!

313日 火曜

30日目―26km

ふくれっつらの水ぶくれ

Paul's blisters指の水ぶくれが一つかなり腫れ上がっていて、僕はわずらわしい思いをしていたが、ディーンとミホはそれを解決してくれた。おかげで、朝には本州南西の海岸へ向かうことができた。トムは焚き火でお茶をいれた。昨日の興奮で燃料を買うのを僕たちは忘れたのだ。

314日 水曜

31日目―40km

ついに40、万歳四唱!!!!

ついに、僕たちは140キロ歩くこところまで来た。しかも、たったの1ヶ月で。この日は、いつも遠かった。いつもの日課は、朝精力的に歩く。午前11時頃短い休みを取って、午後1時か2時に1時間昼食を取る。夕方6時まで歩く。少し休んだ後、僕たちが疲れたり、適当なキャンプ場を見つけるまで歩く。僕たちはそれぞれ自分たちのペースで歩いているので、トムは大体僕より50メートル先にいる。チームのモラルはまだとてもいい。

315日 木曜

32日目―38km

海辺の1日、再び。

The reward for the day's work地図に載っている温泉に向かったが、ホテルは午後2時に閉まっていた。今日は、そんなに刺激的なことはない。1日中霧雨が降っていて、故郷の天気みたいだった。買い物に行った。なるべくバックパックを軽くするために毎日の買い物はその日にしていたが、特売品を目にしてしまうとどうしてもそうはいかなかった。楽しみにしていたお風呂に入れなくて1日終わったが、浜辺でキャンプをしたので海に日が沈むのを見ることができた。

316日 金曜

33日目―39km

ドーナッツは、いかが?

Cormorant Rock今朝も、浜辺を歩いていった。今日のハイライト―プライベート・ビーチでウと一緒に昼ご飯、僕たちの買い物ツアーを撮影、ミスタードーナッツで休憩。ミニディスクで日本語をすこし覚えようと思ったけれど、覚えたのは精神的疲労だった。

317日 土曜

34日目―20km

今晩うちに泊まっていきんさい。

The wonderful Hideki and Mari今日は、28キロ歩くつもりだったが、午後345分霧雨が降ってきて、バックパックが肩になじまなくなってきた(休日の前日という感覚)。すると、いきなりトムが日本人の男性に呼び止められた。昨日僕たちのことを見かけて、今日ほとんど1日中僕たちを探していたと言うのだ。ヒデキとマリは時に有無を言わせず僕たちをもてなした。温泉に連れて行ってくれて、お寿司と酒をご馳走になり、若い頃彼が登った山のことを話した。それから、ボーリング2ゲーム、カラオケ3時間。僕は、生まれて初めてのカラオケで4曲歌った。トムは、ストーンズを少しとビートルズをがんがん歌っていた。午前3時半にリタイヤ!

318日 日曜

35日目―14km

再び休息日、ベンついに出発。

出発する前に、マリとヒデキは旅行用の食料を持たせてくれて、富士山そっくりの山を見に連れていってくれた。再びいつもの1日に戻ったが、こんな手厚いもてなしはすぐに忘れられなかった。

ベン―「母さん、父さん、弟が僕を見送るためにヒースロー空港まで送ってくれた。空港でちょっとしたゴタゴタがあった。僕がビザを持っていない上に、ビザの問題をどう解決するのかも分からなかったからだ。でも、大韓航空のやさしい若い男性は荷物の超過料金を請求しなかった。パパと弟はカートに乗って感動したもの全部ビデオに撮っていた。実際、感動しないものが多かったけど(トイレとかね!)。弟のアンディーは、いつもトイレに興味を持った。彼らと離れるのは寂しい。

機内にいること11時間。特別何を考えていたわけじゃない。それほど興奮もしていなかった。1年以上かかって準備をし、今チームに合流する最終段階を迎えているのだから、なんとか笑おうとがんばっていた。けれども、だるい目をこすっている間に離陸し着陸した。僕は人生で一番つらい別れに打ちのめされていた。

大学の親友は、クリスマスに末期症状だと診断を下された。その時から僕には分かっていた。日本へ行く時の『グッドバイ』が、その友達への最後の『グッドバイ』になることを。状況が違って、友達のもとに残っていられたらと願う気持ちをどう言葉にしていいか分からなかった。『アイラブユー』が、やっと口から出た言葉だった。ひとつ確かなことが言える。ここにやってきたのは自分のためではないということだ。もし、自分のためなら僕は友達のもとに残るだろう。前人未到の旅を成し遂げるために、そして多くの命を救う目的を果たす手助けをしにやってきたのだ」

319日 月曜

36日目―42.5km

ホテルトマトへようこそ。ベンはトム(東京にいるThom)と会い、電車に揺られ東京を移動。

Some fishing boats at rest「松江まで90キロ」という標識。ベンと待ち合わせる場所だ。約束の日まで、まだ2日と半日ある。キンキン言うスピーカーで今度の選挙を宣伝している選挙キャンペーンの車に1時間つけまわされた。午後はのどかな漁村を速いペースで通りぬけた。僕は、疲れてお腹が空いてきたし、なんとなく退屈になってきた。

突然ヒデキとマリが現れ、ウィスキーをおみやげに持ってきた。

もう一晩僕たちは一緒に過ごすことを決め、ヒデキは泊まるのにいい場所を知っていると言った。ヒデキとマリは僕たちがそのホテルに泊ってそれからお寺に行くのだと、とても熱心に言うので、疲れていた僕はいやと言えなかった。

ベン―「全体で24時間以上旅をしている。同じ服を着っぱなしで汗ばみ、まわりと友達になろうと努力しても僕が何を言っているのかみんな分からない。だから、僕がトム(Thom、僕たちの在宅通信員)に空港で会ったときの喜びは分かってもらえるだろう。東京の郊外に住んでいるトムは、臭くて疲れているリバプール人を出迎えて、そのばかでかい荷物をばかに混んでいる電車の中へ押し込んだ。しかし、東京の電車の中は異次元らしい。隅々まで詰まった後、さらに3人くらいよじ登ってくる。アカゲザルみたいにみんな直立していて、誰も何も言わない。たとえ、女の人の顔が僕のわきの下に埋もれていたって、このリバプール人に誰も何も言わない。しかも、その女の人は眠っているらしい!その日は、それから食事して眠った」

320日 火曜

37日目―31km

お寺とお茶、そしてベンからの連絡。

A generous Japanese family起きてから、僕たちは「ラブホテル」に泊まっていたことに気がついた。ラブホテルは比較的安く泊まれる場所で、受け付けのとき誰とも顔を合わせなくていい。テーマのある部屋もある。多くの家族は大変小さなアパートに住んでいるので、カップルがプライバシーを保てる場所としてラブホテルは一般的だ。この夜は、少し寝心地が悪かった。

9時前、僕たちはそばを3杯食べ、神道のすばらしい木造のお宮に案内され(ここをクリックするとお寺を訪問したときの画像が見られます)、食料を買って、マリと涙のお別れをした。彼らの親切は、ずっと長い間僕たちふたりの心に残るだろう。彼らの温かさに浸っている僕たちは、その日遅く道で出会ったサラリーマンにお茶とお菓子に呼ばれた。感激で息つく暇もないようだ。

海岸近くのベンチでその夜は眠った。懐中電灯は砂にいるダニが動いているのを照らしたけれど、僕たちの髪には入ってこなかった。

ベン―「松江に近づいている男たちと連絡がついた。明日そこで会う。ついに仲間たちの声が聞けて、とてもうれしい。やっと興奮してきたかんじだ。長い電車の旅をひとつ終わらせれば、7番目の山「大山」にみんなで挑戦できる。山頂は激しい侵食に悩まされているらしい。それは、とても危険だ、つまり楽しそうだ。体調を整えて、トムとポールに追いつかなければ。

321日 水曜

38日目―15km

魔法の数字3―チームはそろった

Ben meets up with Paul again at last昨晩ベンから電話があり、日本の地を踏んだとのこと。僕らの仲間、東京在住レポーターであるトム・ジェームズにベンは出迎えられた。

松江に早く着いた僕たちは、ミスタードーナッツのお代わり自由コーヒーで時間をつぶした。あまり飲んだものだから、ベンが駅に着いたとき僕はカフェインですこし震えていた。いや、この旅のハイライトが今まさに起こったからかもしれない。ベンがここにいる。3人のチームがついに完成したのだ!チームとしての活動がこれから生むだろう珍道中、僕たちはそのチャレンジを楽しみにしていた。

Ben with Trenaそれから、トレナ(あるいは、トレンタ。意味もなく僕たちは彼女をこう呼ぶ)に会った。彼女は、旅の前に情報を提供してくれた。そして、その夜は友達のメグが僕たちを泊まらせてくれた。その晩、カレーを食べに出かけて、メグにウィスキーのボトルをプレゼントした。

322日 木曜

39日目―15km

300万人のリスナー

The Team's hostess for the nightベンは、東京のラジオ局(JWAVE)とのインタビューを取りつけていた。チームリーダーのトムを朝6時半から電話に出して、国の首都に向かって僕たちが何をやっているのか説明をした。荷物を詰めなおし、東京にいるトムに余分な荷物を送り、大山に向かって歩き出した。快調な力強い午後の歩き。みんな疲れ、キャンプをするために見つけた平地は、かわいいおばあさんの土地だった。彼女は僕たちを快く泊めてくれた上に、夕食のデザートまでくれた!

323日 金曜

40日目―34km

いとしい人、恐い山

僕たちは朝ご飯にゆで卵を3つずつもらい、おばあさんが作ってくれたお弁当をリュックに詰めた。ベンは、その女性のやさしい心遣いからお母さんを思い出し、涙が頬を伝った。

目の前に広がる大山、すばらしい眺めだ。冬の装備を持ってきて本当によかったと思った。その日唯一よくなかったことは、そのふもとに着くまでの急な道のりだ。その夜は、村の公園で一泊した。とても疲れていた。

大山(1729)

324日 土曜

41日目―13km

大山、試される登山、そして地震。

The peak of Mt. Daisen早朝に登り始めたので1時間で頂上に着いた。すばらしい天気、すばらしい景色。尾根は所々切り立っていて、これはいろんな意味で真に試される登山だった。試練でもあり、楽しみでもあった。

ある地点にいるとき、山全体が揺れた。広島を襲ったマグニチュード6.9の地震のためだ。僕たちは無事で、それは啓示を受けたような恐ろしい感じだった。下山でグリセードを楽しみ、少し迷ったけれどテントに戻ってゆったりとお茶をするくらいの時間はあった。

記念すべき最高の山日和…すばらしい!

325日 日曜

42日目

雨―?

その日は、うとうとしたり、しゃべったり、だらだらしていた。何枚か服を洗うこともできた。僕とトムが居眠りしている間、ベンはエネルギーを燃やすために5キロ歩きに行った。とても静かな1日。

326日 月曜

43日目-40km

いっつ つー こーるど つー きゃんぷ

Mr Noboru Uda and his mother20キロ下りてきてもなお、大山は地平線上にそびえていた。朝の歩きは最初のうち穏やかだった。その道には僕たちしかいなくて、雪のため部分的に閉鎖されていた。これが1日中続き、夜も更けてキャンプをしようと決めた時だった。突然、ポールと僕はトムが車の男性と話しているのを見た。その男性の名は、ウダ。外でキャンプするには寒すぎるから、僕たちのためにホテルの部屋を取ってやると言って聞かなかった。ところが、どこも「部屋はございません」。地震後の復旧作業に追われているらしかった。すると、ウダは僕たちを自分の家に招待し、ごちそうし、お湯に入れ(言葉のあやだよ、僕たち赤ちゃんじゃないからね)、泊めてくれた。おそろしいくらい気前がいい!!!

327日 火曜

44日目―35.5km

ニュースペーパー・マン

今朝ウダのお母さんが作ってくれた朝食を取り、僕たちは黒坂に向けて出発した。何時間か歩いて休んでいると、驚いたことにまたウダを見た。ウダは、僕たちが正しい道を歩いているか見に来てくれたのだ。僕たちは合っていた。それにしても、自分だったらこれだけ他人のことを考えてあげられるか僕は疑問に思った。同じようなことで、その日のはじめにトタルに出会ったのだが、ウダが去ってまもなく彼も僕たちを追いかけてきてホットコーヒーと、フルーツ、それに英字新聞をくれた。地域の運動場でキャンプをし、その晩知らない人への親切について語り合った。でも、すぐにガールフレンドの話題に変わっちゃったけどね!

328日 水曜

45日目―33.5km

お魚、さらっと皿にのる

今朝は慌ただしかった。運動場で寝ていたところを立ち退くように言われたのだ。また、1日中歩きつづける。途中、とてもいい釣り場を見つけた。ちょっと泳ぐと、トムはフライフィッシング道具を取り出し、魚釣りにとりかかった。夜も更けて歩いていると突然僕のお尻のちょっとした痛みが、ちょっと痛いどころじゃなくなってきたのに気がついた。だから、他の2人がキャンプもおいしい魚料理も準備してくれたのにとても感謝。

329日 木曜

46日―35.5km

チキン!

7時半出発は、冷たい風と霧に迎えられ、お昼は低い橋の下でラーメンを作るはめになった。僕は、2回頭をぶつけ、むかつくし、尻と脚は痛いしで今日のマインドゲーム「ポジティブでいよう」はうまくいかないと思った。今日のハイライトは、特価で鶏肉2キロを見つけたこと。その晩、夕食のシェフに自分から名乗りをあげたけれど、余計なことを言わなければよかったとすぐに思った。3時間後、僕たちはいい具合に動物性たんぱく質でおなかを満たした。2つ目のハイライトは、初めてトムとテントが一緒になったこと!

330日 金曜

47日目-30km

冗談じゃないよ…トイレ事情。

雪で始まった次の朝、すぐに快晴となって歩きやすくなった。ウやトビが朝食を求めて飛び回る頃、僕は日本のトイレに文句を言い始めた。わかってよ、エナメルの便座に落ち着いて座りたいのさ。野蛮人から隠れているみたいにしゃがんでいるんじゃなくてさ。今日はみんな脚が痛いので文句を言っていた…目も当てられないね。ダムの所でキャンプを構え、トムと僕は見た目おこりんぼの男から水をもらおうとした。彼によると、野犬が群れでここら辺をうろついているんだとか。2回目の鶏肉料理を食べてお茶にしたが、ありがたいことに雨にもかかわらずその野犬は僕たちと一緒にお茶する気はないようだった。その晩は、湿気がすごかったけど僕たちは満足していた。

331日 土曜

48日目―30km

とてもいい、でも橋はあそこだ!

キャンプをたたむ前に例のおこりんぼ男とその奥さんが現れ、立ち去れと言われるのかと思ったら、代わりに缶コーヒーとデニッシュを人数分くれた。もしかして、この人って白雪姫に出てくる小人「おこりんぼ」!?!本州から四国へ島々を渡る旅をはじめたが、良い天気だったにもかかわらず歩みは遅かった。道はすごく風が強くて、時々橋から遠ざかっているんじゃないかとも思えた。でも、魅力的なところだ。ポールは、最悪の状況を語る時も上品でポイントをついたモノの言い方をいつも心得ている。その日の終わりに、脚の痛みと、特に尻の痛みで、僕の目に涙が浮かんだ。四国へ続く5つの島の2つ目でキャンプを張った。今日はよくやったと思う。そして、明日は休息日だ!

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