日記-10月

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安達太良山(1700m-80番目の山)

10月1日 月曜

232日目-23km

Kato-san and Kikuchu-san with Paul on top of Adatara-zanポール-雨、風、雲おまけにベンにお別れ、両足の足首の治療で東京に戻るんだ。今日は、もしいっしょに来てくれた人たちがいなかったらひどい一日になっていたと思う。ハットリさんの山仲間のカトウさんとキクチさんが僕たちを頂上まで案内してくれた。おかげで僕たちの体調も整ったようだ。僕があの人たちのように「たった69歳」や「ほんの76歳」になった時もあんなふうに歩けたら幸せだろうな!

安達太良山の山頂は眺めがいい時なら間違いなく美しいところだ。四方八方から隆起した数多くの火山性の尾根や、その中心からぶつぶつ噴き出す一筋の火山ガスの噴出孔があって、まるで月世界のような火口が見られる。僕たちはちらりとだけ見ることが出来たが、大抵はまたすぐに、真っ白く雨にけむる寒々とした世界に移ろっていくのだった。

雨から逃がれてベンを駅まで送ってくれることにしたハットリさんとは、この山行の終りにまた会った。つらい思いでさようならを言い、僕たちはバッグを肩にまたもや遊牧民の生活に戻って行った。

この週末はずっと、まるで王様のような歓待とご馳走だった。この親切に報いることなんて絶対出来やしないだろう。この旅は、文明に年中さよならばかりしているんだから最高にいかれてるよ。昨日の晩にご馳走を食べ、ふとんで寝たと思ったら、今夜はスパゲッティとさかなの缶詰にマヨネーズをかけて食べて、納屋で寝ることになるんだ。

10月2日 火曜

233日目-34km

あと5分が遠すぎた

ポール-午前中はずっと雨、太陽、寒さ、暑さ、それにむら気な雲がめまぐるしくかわりばんこに僕たちの周囲を踊りまわっていた。

トムは午前中、新しいパラモの防水のジャケットについたいろいろの通気システムで、このめまぐるしく変わる天候に対抗しようと、あちこちについているジッパーやらスナップを掛けたり、はずしたりしていた。このジャケットは確かにすごいがそれでも日が照ってきた時は脱ぐ方がいいと思う。

お昼を食べて間もなく、午前中ずっとたどってきた湖畔を離れて、その日の午前中絶えず雲をかぶっていた峰に向かって登り始めた。僕たちの持っている地図にはスキーリフトに沿ってはっきりと登山道がしるされてはいた。でもはっきり言って、座っていける椅子があるのに歩いていく人なんていないさ。そんなわけで、僕たちみたいな変わり者は登山道捜しにたっぷり時間をとられるはめになり、そのあとリフトの上方に向かって自分から喜んでえっちらおっちら登って行くのだ。上に着くと道ははっきりしてきた。滴となって山道にぼたぼた落ちる霧の中を登って行くと、周囲の木々のてっぺんを風がばたばたと揺らして通る。でも上手いことにこの林が風よけになってくれた。

3時間で半分稼いだ。午後4時までには、じめじめした雲を抜け出し大きな避難小屋にもぐりこんだ。暗くなったら夜間の登頂証明写真を撮ってこようと頂上まで5分ほどのピストンを計画していたが、乾いた衣服とぬくぬくのシュラフに暖かい食事でそんな熱意はどこへやら。トムは午後6時15分までにはすっかり腰を落ち着けてしまった。

西吾妻山(2035m-81番目の山)

10月3日 水曜

234日目-50Km

Paul happy with peaking Nishiazunaトム-一晩中雨と風が小屋をがたがたさせていた。朝になって、頂上をやっつけて(どちらかというと、骨折った割には拍子抜けだ。林で覆われていて見通しがきかなかった)反対側から下山にかかった。

9時までには、僕たちは飯豊山へ向かう道にいた。地図を検討し、きょうは頑張って歩いて日帰りで頂上を狙える所まで行くことにした。僕が集中力を欠いたため、この長歩きはなおさら長いものになってしまった。分岐点を見逃して4キロも余分に歩くはめになってしまったんだ。

日没後も大分長いこと歩いたが、空は雲ひとつなく満月が道を照らしていたのでヘッドランプを取り出す必要はなかった。シーズンオフのトレーラーハウスキャンプ場の洗濯小屋に宿営。

飯豊山(2105m-82番目の山)

10月4日 木曜

235日目-4.5km

Tom and Paul on Mt Ideトム-洗濯小屋には電気が来ていたので僕たちは4時半には起きだし、夜が明けるとすぐ出発した。出発した時は霧が濃かったが日が昇るにつれ空は晴れてきた。10時には登山口に到着。登り始めは急登ですぐに汗がふきだす。尾根まで来ると平坦になり、素晴らしい眺望と素敵な秋の紅葉の歓待を受けた。

Awesome views and great autumn colours頂上までの道すがら、ベンから連絡があった。昨日はくるぶしがひどく腫れていて動くことも出来なかったが今日は大分ましになったとのこと。様子からすると、ここ数日は山日記をアップデイトしたりするので大変だったらしい。

山頂で二人のクライマーに会った。おしゃべりをしていたらこれが彼らの百名山、80山目の登頂だそうだ……僕らよりたった二つ少ないだけだ!一緒に記念撮影をした。でも大分寒くなっていたし、暮れる前に山を抜け出したかったので急いで下山しなければならなかった。急いだのだが、それでも最も険しいところを暗いなか下山しなくてはならなかった。川べりにテントを張りそのまま横になったとたんバタンキューさ。

10月5日(金曜)

236日目-40.5km

山歩きは続く

ポール-何日も何日も僕たちはただ歩く。こんなことそうあるこっちゃない。

二日前には登って行くとそれはもう綺麗だった峡谷は、今日は雨でだいなしだ。

気分を盛り上げるためと、昼どきには店はないだろうというんで、午前10時ごろラーメンを買って食事とした。つまり早めに食べておけば昼が遅くなっても腹がもつだろうと思ったわけだ。ところが残念ながらラーメンはブラックホールに吸い込まれてしまったようだ。それでも太陽も顔を出し、昼どきには軽食堂も見つけた。まったく劇的な好展開だった!

一日半もの歩きを稼げるのに、乗っていいよと言ってくれる車を断るのはつらい。でもみんなが心配してくれているのを知るのはうれしい。

夕方になるにつれて歩きがスローダウンした。電話がいろいろ掛かってきてしょっちゅう立ち止まったからだ。その晩は町なかの橋の下で露営。二日後には新聞社とTVのインタビューがある予定で、ちょうどそこは僕たちが2度目の外国人登録を試みるために滞在予定にしている仙台市内だった。ベンの足は良くなっているといううれしいニュースもあった。

10月6日 土曜

237日目-42km

君の誕生日は?

ポール-今日は僕は24回も曲がったぞ。

トムは忘れていたし、ベンは日記に16日だと書いていたので、僕はわざわざ二人に知らせるなんてしなかった。だから朝5時半の「ハッピーバースデー」の演出は僕にはなかった。

日中は陽が照っていたが、僕たちはコンビニという食料倉庫から大量の食料補給作戦を実施した。(昨日も何度もやったんだけどね)夕方には明日のインタビューに備えて温泉できれいさっぱりした。だから、それでもその日は順調に行ったということだ。午前中はずっと平坦な道だった。バッグで僕の背中は痛み、昼飯の頃には血糖値が下がってしまって、座り込んで何か食べることしか頭になかった。人生がこうも食べ物を中心に回っているなんて何とも情けないよね。

午後はずっと上りだった。おかげで背中は楽だった。素敵な夕暮れだった。耳元で音楽がはずんでいて、蔵王温泉スキーリゾートに続くたくさんのつづら折道をどんどん上って行くのはほとんど快感そのものだった。

トムはちょっとずつ、こっそり衣類を温泉で洗っちゃったんだ。身体を洗いながら、いかにも順々にタオルを変えてるみたいにしてね。洗い終わった時、日本人が一人ぶらりと入って来て、僕たちの隣に座り込むと堂々とパンツを洗い始めた。なーんだ、OKなんだ。だよね?

これは言っておかなくちゃ。露天の岩風呂に入って星空をじっと眺めてるっていうのは一日の終りを飾るには最高だね。

蔵王山(1841m-83番目の山)

10月77日 日曜

238日目-29m

The cameraman entertains Tomトム-ブリフと僕は、8時半までインタビューがなかったので、今朝は地図のチェックや、日記への書き込みや、寝袋を干したりでゆっくりすごした。

地方紙の取材でいくつか質問に答えてカメラに向かってポーズを取った後、僕たちは、山上のロープウエイのところで10時半にインタビューがあったため、スキー場のスロープを登って行った。こんどは土地のTV局の取材だ。上りで少し道に迷い、間に合わせるため大分急がなくてはならなかった。そこから頂上までカメラマンとおしゃべりをした。カメラにポーズを取ったりした時などはちょっと意識しちゃったよ。彼は僕たちが歩いているところや、ストイックな表情で地平線を見つめているところだとか、仲間とおしゃべりしている様子をカメラに収めていた。しまいには僕たちは頂上で、疲れきった様子で登頂成功のお祝いをやってる演技までしなくてはならなかったんだぜ。そのあと簡単にインタビューに答え(まったくひどい日本語だったけど)、その後今度は二社目の地方紙のインタビューだ。おんなじ質問にこうして三度答えて僕たちは下山にかかった。

Tom posing at the top of Zao-san僕は携帯に充電するためポールより先に走るようにして降りた。簡単な昼食を済ませたあと、僕たちは朝日岳へ向かってふたたび路上の人となった。途中トム(東京にいる方の)とベス(ジュネーヴのポールの友達でチョコレートを送ってくれるんだ。ありがとう、ベス!)、それに今日の朝インタビューした記者のうち一人、それからベンからも続けざまに電話があった。

ベスと話していて昨日がポールの誕生日だったってことが分かった……誰が忘れたんだ? この埋め合わせはきっとしなくっちゃ。約束するよ。

その日僕たちは低木の茂った待避道に宿営した。

10月8日 月曜

239日目-40Km

バス停で寝る。

トム-5時起床。犬を散歩させる人たちの興味津々の目にさらされながらの荷造り。

出発すると早朝パワーウォークトレーニング中の人に会った。彼は急に立ち止まると僕たちに声を掛けてきた。「昨日の夜、テレビで見たよ。ガンバッテ!」日中は通り掛かる車から手を振ってくれる人がたくさんいた。僕はただこの手のひとふり、ひとふりが地雷撤去キャンペーンへの寄付金と認知度の高まりのあらわれであれば良いと願うばかりだ。

昼間の間、ポールの姿を見失ってばかりいた。その度に歩行速度を上げて追いつこうとするのだが、彼はただ茂みにかくれて立ちションしていただけで、実際には僕の後方にいたんだ。そういうことはあったにはあったけど、確かにポールは僕より足は速いんだ。

これからの二日分の食料を仕入れると、僕たちはきれいな玉石でちりばめられた川に沿った道を登って行った。登山口に倒れそうな屋根つきのバス停を見つけた。それでも床を板で平らにしたら一晩過ごすのにはなかなかの場所になった。

大朝日岳(1870m-84番目の山)

10月9日 火曜

240日目-22Km

Tom ready to race off to the next mountainポール-雲の中へ向かっての上りでじめじめしていた。人気のない頂上の尾根では痛烈な風だ。下りは秋の黄金色の木々のトンネルの中を歩いた。気分の盛り上がらない日。アラン・ロバート-ショウが亡くなったことを知らされた日、アフガニスタン空爆があった日であり、ベンが医者からあと十日は歩いてはいけないと命令が下った日だ。一日中いろいろな感情がないまぜになって去来し、雨がしとしと降っていた。

ここ数日の日誌を記録するため、三階建ての堂々とした避難小屋で今日は早めにあがった。トムは実際何日分か書かなければならなかったと思う。僕の日誌はほとんど追いついた。

僕たちが来る日も来る日もやれることと言ったら歩くことなのだが、問題は永遠とも思えるほどこれが続くことなんだ。--起きて、食べて、歩いて、また食べて、また歩いて、またまた食べてそして寝る、というふうにね。まあ、風変わりな毎日だよ。

10月10日 水曜

241日目-18Km

滞在OKでしょうか?

Paul and Tim threaten the camera with slotted spoonsポール-雨の中を18キロ歩く。山を降りて85番目の山への道へつながる街道へ出る。ここから僕たちは観光ビザを3ヶ月延長するために、仙台までヒッチハイクをもくろんでいるんだ。

やっと19歳のスキーのインストラクターが車を止めてくれて、ずぶぬれの僕たちに何ともはや豪華な彼の車に乗ってもいいと言ってくれた。一体どこでこんなに稼ぐんだろ? 彼は僕たちを高速の出口で降ろしてくれて、町で用(散髪)が済んだら僕たちが、次の車をヒッチハイク出来たか確認に来てくれるって約束をしてくれた。

雨は降り続き、僕たちを乗せてくれることになんか誰も関心は無いみたいだった。それで、彼が戻ってきてくれた時は僕たちはまだそこにいたんだ。--すごいよ!本当に戻ってきてくれたんだ。彼は僕たちを駅まで連れて行ってくれた。外は雨。気持ちいい暖かい車内で僕たちの身体も少しずつ乾いて来た。ありがたいことに入国管理係の人は、目の前で滴をたらす僕たち二人をじろじろ見ることなく、パスポートにスタンプを押してくれた。1月25日まではうろうろ出来ることになった(それまでにはゴールしたいものだね)。

スターバックスの高級感をとるか、マック好きで一杯の安上がりな活気をとるか迷っているカップルを眺めたり、日記を本当にちゃんと書き上げなくっちゃな、なんて考えながらマクドナルドでくつろいだ後、ティム・ハリスと会った。おしゃべりや食事やらで夕方を楽しく過ごし、ついでに雨宿りも出来た。

10月11日 木曜

242日目

登録済みガイジン

トム-ティムは学校があるので朝早く起きた。それで僕たちはさよならを言って荷物をつめた。雨が止まないかなと思って待ってみたけど、10時になってもまだバケツをひっくり返したみたいに降っていたので出発する事にした。気持ち良く乾いた服がまたびちょびちょだ。

市役所でまったく問題なく登録が済んだ。このあと電車で北山形まで戻り、ヒッチハイク出来そうなところまで歩く。1時間位、通りかかる車に見られ、笑われ、あるいは無視された挙げ句、3人の子供をつれた女の人が止まってくれて、昨日僕たちがちょうど車を拾ったところまで乗っけてくれた。彼女は若い頃は自分でもかなりの旅行をしたと、完璧な英語で話してくれた。でっかいりんごと、何房かのぶどうをくれると、僕たちを降して走り去って行った。それから僕たちはテントを張ってちょっとしたディナーをぱくついた。

月山(1984m-85番目の山)

10月12日 金曜

243日目-37km

トム-登山口までしとしと雨の中を、険しい道を10キロちょっと歩かなくてはならなかった。登って行くと何台も車が止まって、乗って行かないかと声をかけてくれた。ある人なんかチャリティにと言って寄付までしてくれたんだ。その上、僕たちはカナダ人のカップルにも会った。おしゃべりしているうちに二人のうち一人が、何と北海道にいるウィル・ウィッチャリーっていう僕の親友を知ってるって事が分かったんだ。(やあ! ウィル、これ読んでいるかい?)

登山道はなかなか素敵な森の中をぬって行くのだが、雲で見通しはきかなかった。ペナイン山脈(訳注:イングランド北部のスコットランドとの境界付近から南北に連なる山脈)に良く似ていた。つまり霧や色づく下草やなだらかに起伏する峰などがね。昼ごろ頂上に到着。凍えそうなくらい風が吹いていて、待避小屋があって良かった。急いで食事をして登頂証拠写真を撮ると、反対側から早速下山にかかった。降りて行くに従い、霧が晴れてきてなかなかの眺めだった。

最後の15キロかそこら僕たちは道を歩きながら勉強したんだ。ポールは読書、僕は新聞で最新のニュースを読んだ。(どちらも親切にもティムが寄付してくれたものだ)夕方になって倒れかけた掘っ立て小屋を見つけ、そこで寝る事にした。屋根は穴だらけだし、床は薄っぺらでもろいし(僕は二度も踏み抜いた)で、ポールは他のねぐらを探す事にして、近くにあったサマーハウスの軒先を借りることにした。

10月13日 土曜

244日目-43km

山歩きは続く-その2

ポール-何日も何日も僕たちはただ歩く。こんなことそうあるこっちゃない。

朝のうちは雨だった。その後、すごくなだらかな高原を横切っている時には太陽が顔を出した。お昼を仕入れにちょうどスーパーへ入っていった時、空の底でも抜けたかと思うほどの土砂降りになったのに、食べ終えた頃にはまた陽がさしてきた。今の季節は、天候は変わり易いと言うのが当たりだろう。

途中、酔っ払ったおじいさんが僕を呼び止めて一杯ひっかけていかないかと誘ってくれたけど、トムは既に僕の前の方を行っていたので、丁重にお断りして歩きつづけた。ちょうど僕たちと同じ方向に行く人が乗らないかと誘ってくれたのにこれを断った時には信じられないという顔をしていた。それでその人は僕に近くにあるというJET(訳注:語学指導等を行う外国青年招致事業)の先生の家への道を教えてくれ、そのあとでトムのそばに車を止め、僕たちが次に登ろうとしている山の地図をくれた。翌日にはかなりの登りを控えていたのでJETの家に寄るのをやめてまた橋の下で野営。

時には冒険の進み具合もスローダウンするものさ。

鳥海山(2236m-86番目の山)

10月14日 日曜

245日目-27km

Paul amongst all the slateポール-僕は悲観的な物の考え方は、身体的動作を致命的に損なうという考えの絶対的信奉者だ。だから、今日の午前中ずっと、いや午後ですら僕の頭の中で暴れまわっているこの悲観論を抱え込んでいることにどうして甘んじていられたんだろう。

今日の午前中は僕は何に対しても不機嫌だった。例えば、トムはわざと(もちろんわざとじゃなかったんだよ)山の中で一番使われたことがないルートを選んで登らせたんだと思い込んだり、つるつるの岩が僕の足下に自ら身を投げ出してきたんじゃないかと確信したり、きっと僕のリュックはわざと僕の身動きを取れなくしようとしているんだと恨んだりしていたんだ。それに、何でか全然分からないけど、トムに電話で1時間インタビューした北海道新聞にも腹をたてていた。

Tom, with a rather red nose, at the top of Chokai-zan粘土の窪みの中に足を突っ込んでしまって、靴がまっ黄色になった時も何とか無理して笑ったよ。頂上に向かう途中すれ違う人たちがみんなして僕たちの短パン姿を見て、上は寒いぞとか何とか言ってくれることにも何とかユーモアを見つけようとすらしたんだ。一体僕たちがリュックの中に何も持っていないとでも思ったんだろうか?

だけど、その堂々とした大きな山腹を登ってきて、吹き荒れる風と渦巻くガスの中を感動的な外輪山の稜線に立つ頃には(僕たちは海抜ゼロの地点から登って来たんだ)僕の中でこの何にでもやたら不機嫌になる気持ちがまたぞろ戻ってきていた。もちろん山頂でまたもやガスに巻かれていることに腹を立てていたんだ。頂上は礫地で、ぎざぎざに裂けた岩の山だった。まるで北ウエールズの粘板岩のぼた山を僕に思い出させた。濡れた岩の上で滑ってばかりいる僕の靴にも腹が立った。標識をうんざりするほど何度も読み間違えてしまいには洞穴の中に入っちまって、また腹を立てた。トムはこの何日かうまくやっている。じっと先頭に立って歩き自分を抑えてうまくコントロールしていた。

The wind clears a beautiful view, and a troubled mind激しく鞭打つような風とガスの中から抜け出して尾根を下ってくると、僕たちの眼前には思わず脚を止め、畏敬の念で目を見張るような景色が立ちはだかった。山の向こうに繰り広げられる日没は幾条もの光の帯となって僕たちを取り囲んだ。澄み切った夕映えの光の中で、遥か向こうの麓の方まで斜面が延びている。頭上に一連の雲が現れ、目に見えない気流に乗って僕たちの前方に引張られて行ったと思うとばらばらになり消え去っていった。

僕のちょっとかき乱れた気持ちが癒される思いがした。

ちょっと山を下ったところの避難小屋にちょうど真っ暗になる前に到着した。ちょうどトムのヘッドランプの電池がきれたのと同時だった。

10月15日 月曜

246日目-39km

高校生の子供達

The high school kids who had knowledge of where to find foodトム-明け方の空は晴れていて日の出がきれいだった。つまり外は凍るような寒さだってことさ。

メイン道路までちょっと下った。ポールは僕が新聞を読んでいる間にちょっと撮影をしていた。それから僕はその日の残りの時間ずっと夢中になって読んだ本にとりかかった。さしかかった最初の町で、僕たちは二人の親切な高校生に土地のスーパーマーケットに案内してもらった。

その日はずっと道路の上を歩いた。永遠に続くかと思ったよ。歩きながら見える鳥海山の景色は素晴らしく、こんな景色を見ること事が出来るし、開放された気分にひたれるしで、歩きながら心の底から幸せだなと思った。ろうそくの火のもと、橋の下でディナーを料理した。

10月16日 火曜

247日目-45km

いつもの事ですが、僕たち不審人物……

A distant peak トム-今日もいつもと同じく歩いて、歩いて、歩き続けた。僕は午前中をずっと読書についやした。

たくさんの試食付きで、お昼を調達できるすごいスーパーを見つけた。僕たちは、昼を食べた後、いくつかひなびた村を抜けて丘に向かって登って行った。午後5時半くらいにお巡りさんが僕たちのところに来て話をしていった。僕たちを質問攻めにあわせ、こう言った。実は僕たちをテロリストと勘違いした土地の誰かが呼んだんだって。言うまでもないけど、僕はこのことはおかしくてたまらなかったんだ。でも振り返ってみれば人がこんなにも疑い深くなっているということはたまらなく淋しいことだよね。

これ以上のいざこざを避けられる寝場所を探すことにして、また橋の下に露営することにした。

10月17 水曜

248日目-49.5km

山歩きは続く

ポール-今日もよく歩いた。太陽あり、曇あり、降雨あり、それからまた晴れると言う具合さ。コンビニの外での小休止があり、ツナサンドと自販機で買った缶コーヒーの昼食もあった。それに僕たちの冬山装備を送っておく場所も北海道に見つけたし、本当にたくさんのいろんな人たちが僕らのホームページを読んでくれているんだと言う報せもあったよ。何時間も何時間も歩いたし、一日の締めくくりには、またキャンプする橋の下を見つけたんだ。

10月18日 木曜

249日目-44km

そうか! 冬が近づいてるんだ!

ポール-また40キロ以上歩いた。ゆっくり歩いているだけなのに時の流れは矢のようだ。今朝トムは捨てられた小猫を見つけた。道端にぽんと捨てられていたんだ。箱に入れられてね。彼は次の野営地まで連れて行ったんだ。交番に届けようと思ってね。でも、ちょうど警官がいなかったんでバス停においてきた。狂犬病か何かにかかってなけりゃいいんだけど。

今日の方が距離は短かっただけど昨日より時間がかかってしまった。本当にどうしてだか分からない。ぜんぜんゆっくり歩いてなんかいなかったんだけどな。音楽鑑賞も少し辟易してきたな。年がら年中聞いてるんだから。

大分暗くなってから、ダムを見下ろす、閉まっているレストランの裏にキャンプすることにした。そのダムは僕たちの持っている地図が発行されてから出来たものだ。僕たちはダウンのシュラフにもぐりこみ、身を寄せ合うようにして凍えるような寒気を避け、澄み切った満天の星空の下、レストランの外の屋根つきのテラスで幸せな眠りについた。

早池峰山(1917m-87番目の山)

10月19日 金曜

250日目-35.5km

Paul and Tom raise the flag on Hayachineトム-今朝は今までの山行の中でも最も寒い方の日だった。そんなわけで登りはきつかった。谷間は何時間かかってもなかなか暖まることはないみたいで、登山口についた時もまだ寒くてたまらなかった。

僕たちはそこで小休止して、食事をとってから険しいガレ場につながる川をさかのぼって行った。そこをとおって頂上への登山道が続いている。また、たくさんきつい岩場を登らなくちゃならなかった(別の時にたのむよ)。僕たちが「ジャパン・タイム」と呼んでいる歩行予測時間のほぼ3分の1で頂上に到着した。山頂からの眺めは良かったが、残念ながらほとんど木々の葉は落ちてしまっていて紅葉はわくわくするほどのものではなかった。

Paul and Tom with the ladies they met at the summitそこで数人の女性とおしゃべりをした。チャリティ(注:地雷撲滅運動の募金活動)についてもお話しして、それぞれ別のルートをとおって下山した。熊よけベルがうるさい(それに実際迷惑だよね)男の人が後ろからついてきた。午後の残りの時間を使って、前日キャンプした所まで歩いて戻った。そこに荷物を置いてきたんだ。

暖かく寝られる部屋のある給油所を見つけた。問題は身動きするとセンサーが働いて電気がついてしまうことだった。僕たちはこの問題をうまいこと回避するために部屋の中にテントを張ることにした。これで寝返りをうっても電気はつかなくなった。誰かが夜の間に来たようだった。テントを見てその人はなんと思っただろう。

10月20日 土曜

251日目-37.5km

盛岡マッドネス

Hutch, Paul and one of Hutch's beautiful friendsトム-朝食の後、寒い中を出発した。今日も路上歩行だ。最初に僕たちは長い峠を登って行かなくてはならなかったが、そこでポールはずいぶんと人に馴れたタヌキ(日本のアライグマの一種)を見かけた。空は晴れ渡り少しずつ暖かくなってきた。

その日はずっと、僕たちの盛岡での宿泊場所を手配してくれたハッチという男に電話連絡をとろうとしていた。(ハッチとは僕たちがイギリスを出る前から連絡を取り合っていたんだ)ようやく電話が通じてハッチと彼の二人の友人(美人のエレンとナオミだ)と会えた。彼は僕たちをまるで王侯貴族のようにもてなしてくれた。外食に連れて行ってくれ、ビリヤードで少し遊んだ後エレンのところでビデオを見て楽しんだ。

風呂に入ったり、洗濯をしたり夜中の2時までおしゃべりしたりするのは素晴らしいよ。(ポールは4時までだって-僕を情けないやつだって呼んでくれ!)

ハッチ-ついにみんなにじかに会えたぞ! 彼らの旅のはじめからその経過を追ってきて(それに、JETプログラムのアウトドアーグループのメンバーみんなに彼らの広報誌を配ったりして)やっと岩手県で彼らに会えたんだ。食事をしてもらって、食料を補給して……そして彼らと(今回はポールとトムだけだった)盛岡の町をただ一緒ぶらぶら歩くだけでも素晴らしい数日だった。

10月21日 日曜

252日目-ゼロkm

ポール-気持ちが良く、のんびりとした満腹の朝だった。トムは何とかして何日か分の日記を書き終えた。僕はどうにか何とかしてそういうことをしないですませた。いつの間にやら午後になっていた。-まあ朝食が11時半じゃあそうなるのも当然だけどね。

僕たちが出発する準備ができた時には、岩手県の新聞社とのインタビューに間に合うようにハッチがトムと僕を駅まで車で送ってくれる時間しかなくなってしまった。へんてこな取材だった。質問が多かったという訳じゃなかったんだけど、やたら時間がかかったんだ。どうも話がかみ合っていなかったんだと思う。でも、インタビューアーのお姉さんを、取材前よりもっと混乱させてしまったんじゃないかとちょっぴり心配だ。

ようやく、二ヶ月振りに僕たちのEメールボックスをちょっとのぞいた。僕はちょっとメッセージを読んでもらったんだけど何も書かれてなかった。僕たちはこの山歩きとは関係ないもう一つの僕たちの世界にいるみんなのことを忘れたわけではないんだ。ただね、このところインターネットに近づけないでいるんだよ。

素晴らしい夕食と、でっかいアイスクリーム、そして、締めくくりに映画を今日も見て、歩いた後の休息は完璧となった。

岩手山(2038m-88番目の山)

10月22日 月曜

253日目-35km

休火山をトラバース!!

A warning signポール-岩手山は季節により入山規制がある。開山の時期でも開いている所と閉まっている所がある。西側は最近の(ここ2年の)活発な火山活動のため完全に閉山状態だ。冬になったので山は2週間前に閉山している。岩手のある地元紙なんか僕たちが今日登ろうとしているというので取材をしようとしなかったんだぜ。肝心なのは、冬だっていうこと以外には冬中ずっと山を閉める理由なんてないようなんだ。

えー、それで、僕たちは閉山された山を登り、ひとっ子一人見かけることないまま閉山された山を降りてきたんだ。多分ちょっと馬鹿だったかも。草のはえ放題の峠の道に、蒸気の噴き出している地面、ある場所なんか地面が暖かかった。気持ちの良いもんじゃなかったな、僕はね。トムは全然気にならなかったみたいだ。

登っていくこと自体はまあ簡単なものだったよ。ずーっとかなり険しくってね、頂上まで火山砂礫の道が続いたんだから。旧噴火口の縁と現在の円錐火山(休火山)との間に山小屋が二つある。その内の一軒のほうで簡単に食事を済ませ、そこに荷物を置かせてもらって山頂までザレ道をゆっくり登っていった。またしても頂上に着く前にガスってきた。雲と寒風の中で急いで登頂証明写真を撮ってから比較的暖かい雲の下に大急ぎで戻る事にした。

下山には結構時間を取られた。距離がある上に、うっそうとした熊笹の茂みの中を藪こぎして進まなければならなかったからだ。僕は、山上での日照時間を考慮に入れるのを忘れて、ヘッドランプをハッチの車に置いてきてしまっていた。だから、またぞろ僕たちは暗闇の中をランプ一つで藪こぎしながら下山しなければならなかったんだ。僕たちときたら学習効果ってものがあるのかなあ。

Another cloudy proof shot思ったより少し遅くなって、僕たちはアンディ・アトシッグ(訳注:7月5日の日記参照)の時みたいなへまをまたやらかすかなと心配になったけど、ありがたいことに何とか道に出られたその2分後、ちょうどどうしようかと考えていた時にハッチがいつものにこにこ顔をたたえながら車でやってきた。彼は僕たちを美しい山あいの温泉に連れて行ってくれた。そこには二つの露天風呂がついていて、その一つは川をわたった向こうの洞窟の中にあった。

僕たちはとうとう正真正銘の日本スタイルの山の一日を体験した。すなわち、一日の締めくくりとして温泉につかるということだ。ハッチが行ってしまった後、コンロや燃料を含む道具一式の入ったポリ袋を車の中に置き忘れたことに気づいた。これでその日がちょっとだけ台無しになってしまったのは残念だった。ビスケットはもう見るのも嫌になって空腹のまま寝についた。

ハッチ-月曜は仕事を休んで(僕は英語を教えているんだ。)彼らの荷物運びを手伝うことにした。八幡平付近で一人でトレッキングをやって、トムとポールが裏岩手の暗闇からふらふら出てきた所にばったり出遭った。二人の山歩きの間に噴火がなかったのは運が良かったよ。松川温泉の露天風呂でビールのご相伴にあずかり……素っ裸で川向こうの洞穴まで橋を走って渡ったんだ。次の週末にまた会うことにして彼らと別れた。

あ、そうそう、トムは僕の車にコンロを忘れて行ったんだ……だから、どうやらその後数日間は、暖かい食事にはありつけなかったに違いない!-トムはね、すぐ色んなものを忘れていくんだ(^_^)

八幡平山(1613m-89番目の山)

10月23日 火曜

254日目-40km

Paul rests at the top of Mt. Hachimantaiトム-ディナー抜きにもかかわらずよく寝られた。冷たい朝食(つまり、コーヒー抜きってことだ!!)八幡平に向かって小ぬか雨の中を出発した。僕たちが進んだ道は地すべりで閉鎖されていたので車の事を心配する必要はなかった。

空は曇ったり、晴れたりでどちらか態度を決めかねていた。だから午前中僕たちは上着を脱いだり着たりしていた。昼食休みの後舗装された道を通って頂上に向かった。雨具を着込んで、でっかい荷物を背負っていたので、気楽なシューズにカーディガン姿の人たちとすれ違った時などちょっぴり重装備過ぎるかなと思った。今回のピークは今まで登った中では一番簡単に違いなかった。

反対側から山道を降りて行くと小さな村に着き、使われていない家の陰にテン張る。ツナサンドを食べて就寝。

10月24日 水曜

255日目-42.5km

電話と土砂降りの雨

トム-今日もまた長歩きの日だった。最初の休憩までに4時間歩いた。日中は待ち合わせ場所の打合わせでベンに電話をかけたり、新聞社とのインタビューのアレンジのためAAR(訳注:Association for Aid and Relief, Japan - 難民を助ける会)に電話したりした。それに父と母にもかけたんだ。(そうさ、両親には時々かけてるんだぜ!!)

昼食で小休止していると土砂降りの雨が降り始めた。僕は雨具を全部身に着けると出発した。ポールは5分出発を待ったら雨はほとんど止んでしまった。(ほんとに小賢しいやつだよな!)またもや橋の下に泊まり、ツナサンドを食べた(まただよ!)

10月25日(木曜)

256日目-41.5km

大鰐

ポール-今日は(ハッチがアレンジしてくれた)屋根つきの家での数日間の滞在、ハッチと一緒の登山、そして土曜に開かれたパーティに至るごちゃごちゃの数日間の初日だった。それに僕たちがベンにようやくまた会えた日でもあった。

午前中いっぱい歩きつづけた挙句、僕たちは大鰐のスーパーの傍で小休止して昼食をとった。ほら、これが僕たちの生活のいいところさ。先週末に会ったハッチのやつ(友達さ)がイングリッド-彼女は僕たちのことをそれまで聞いたこともなかったんだ-に電話をしてくれて、僕たちを泊めてくれるか聞いてくれた。そしたらオーケーって言ってくれたんだ。それどころかイングリッドは英語を話す友達(ノリコ)に頼んで、午前10時頃に来ることになっているベンの出迎えを手配してくれた。(後で分かったんだけど、ベンは行き先を間違って切符を買い、さんざん列車を待たされた挙句、今度は中で寝込んでしまって、間違った駅で降りたんだってさ。それで、はじめの駅まで戻って運賃を返してもらって、今度は正しい行先の電車に乗ったのはいいんだけど今度は料金を払おうにも人がいない。それで、ベンはトムと僕の2時間後に到着だ。10時間遅れだぜ。)

まだあるんだ。救出の依頼を受けたまだ僕たちが会ったこともない女の子、ノリコは、近くの町に向かう途中の僕たちを母親に頼んで待っていてくれた。(僕たちはノリコに電話でベンの到着を問い合わせたので、僕らが近くにいるのが分っていたんだ。)二人は僕たちのバッグを車で町まで運び、イングリッドの家に預けるとその足で僕たちを拾って大鰐まで戻ってくれると言ってくれた。だから僕たちは手ぶらで街に入り、僕たちの到着を待っていた二人の車に乗せてもらって大鰐まで戻った。その後僕たちは彼女達にご馳走になって、イングリッドの家まで運ばれ、興奮を冷ましてから各自の部屋に引っ込んで眠りについた。(イングリッドは4つも寝室のある家を持ってるんだ!)

10月26日 金曜

257日目-30km

久し振りの山歩き

ベン-今日の目的は弘前(トムとポールが昨日の歩きを上がった町の近くだ)から岩木山まで行くことで、今日のところは登らずにまた戻ってくる。そして弘前も通り越してもう少し戻ることになる。そうすればハッチが明日僕たちに合流して山を登れる。

午前中は歩いていて楽しかった。痛みもなかったし(足首)、お互い近況を報告しあうこともできた。僕たちはロックミュージック会場のそばを通った。大きな何とか記念ロックコンサートとかいうタイプの大奮闘振りでかなり覚えやすい曲を演奏していた……このことについて僕が言わなくてはならないのはこれだけだ。ほどなく町に戻るとずいぶんどでかい外国人がたくさんいるのが目についた。弘前で開かれる世界すもうチャンピオン大会への参加選手たちだった。どうやら世界で最大級の巨漢スポーツマンたちがこの競技会に出るらしい。800ポンドはあるぞ!!

AARは町で僕たちに二つの新聞取材を用意していたので僕たちは記者達を待った。取材はどちらも順調にいき、ハッチが僕たちをつれに来てくれてイングリッドのところに帰る前に軽く食事をとった。

大鰐のイングリッド(青森県のALT(外国語補助教員)の一人だ)の家で男たち(今度こそ3人みんなそろって)が再会を果たした金曜の夜。イングリッドは見知らぬ者どもに家を明け渡してくれたんだ……

岩木山(1625m-90番目の山)

10月27日 土曜

258日目-24km

ハロウィーンパーティと山頂

One of the Tori gatesベン-今日の山行は大ハッチと一緒で、それだけによけいに楽しかった。先ずは一連の鳥居(神道の神社の施設)をくぐっていざ出発だ。次いで、ふもとに近い坂道の目のさめるような秋色に染まった樹々の中を歩いて行った。登りの後半はほとんど4メートルから8メートルくらいの幅の雨に削られたガリーの中の歩きだった。僕たちは山頂では寄り添うようにすわりハッチと情報を交換した。彼は昨年の冬こちら側の斜面でなかなか素敵な粉雪スキーを経験しているんだ。

僕は何度かひどく転んで肘やすねを切った。難易度の低い所でも自分の足首が持ちこたえられず、不安定になってふらついてしまうのに僕はがっくりきた。

山頂は雲に包まれていたが面白い所だった。頂上にある神社は土地の農民にとって大事な場所だった。彼らは年に一度収穫した穀物を捧げにやってくる。大きな岩陰にたくさんの建築物があった。

The team at the top of Mt Iwakiまたハッチに弘前で降ろしてもらうと、10キロほどの歩きをちょいとやってから、またハッチに彼が八甲田の次に日本でのお気に入りだという場所に連れて行ってもらった。青荷温泉……すごいところだ! 僕たちは暗くなってからこの青森の津軽の山岳地帯のど真ん中に到着し、そこから美しい木造の建物群からなる小さな集落まで歩いて行った

灯油ランプのもと、僕たちは三種類の温泉につかった。そのうち一つは露天風呂つまり戸外にある温泉だった。雲が月や星を追いかけ、追い抜いていく様を眺めているとリラックスして一日の疲れが身体からしみ出して行った。トムと僕は子宝の湯に飛び込んでみることにした。小さな木のバスタブで、他のより湯がぬるく、一風変わった方法で湯を汲み入れていた……(自分で想像してくれ!)ハッチとポールはいやだと言って入らず。ハッチなんか僕ら二人にもうすぐ子供が授かると本気に思い込んでいたよ。

土地の伝説的人物となっている人に会わないで青荷を離れるなんて出来なかった。ヒロというのがその人の名前で、彼は青荷でのわくわくするような体験について話してくれた。彼はきらきらと輝いている人達の一人だ。誰でもヒロみたいな人には会ってみたいと思うし、彼も友人に対しても見知らぬ人に対しても同じように たっぷりと時間を割いてくれる余裕もあるようだ。僕たちはヒロと一緒にコーヒーやウィスキーを飲んだ。別れる前にヒロは僕にすごいプレゼントをくれたんだ。それは彼の手作りのヘッドバンドだった。部屋の中を踊りまわりながら「きちがい祭り」だと言ってそれを僕にくれたんだ。おまけに僕たちみんなに漢字で「青荷温泉」の文字が入ったトレーナーをプレゼントしてくれた。

イングリッドの家に帰り着くまでに僕たちは長い一日を過ごしたんだけど、まだ終わったわけではなかった。帰るとそのままハロウィーン パーティになだれ込んだんだ。30人ほどのJETの先生たちに何人かの日本人の人たちと、マレーシア人の力士が2人一緒だった。たくさんの人たちと知り合いになって、僕がとうとうダンスを止めたのは4時半だったかな……僕の寝袋を留めてくれたのは一体誰だったんだろう?

Hiro, Hutch and Tomハッチ-彼ら3人みんなに30数人のワイルドな英語の先生連中の集まった土曜の夜:ハロウィーン衣装やらどんちゃん騒ぎやら何でもありだ。

土曜は何とか岩木山の頂上を制覇した。- ふもとの岩木神社から頂上を目指しまた戻ってくるまで約5時間。(今年初めて雪を触ったぞ!-ここを読んで :……幸運な粉雪狂諸君!)それを身体に感じたのは日曜日だ。脚と胃にね-そいつは二日酔いだって!

また日曜に彼らと別れたけど僕の一番大好きな山岳地帯、八甲田連峰の縦走をそそのかしておいた。彼らはたしかその火曜日にやったと思う。ありがたいことに、彼らは僕がバックカントリーの山小屋の地下に保管しておいた食料を何とか見つけ出すことが出来た。

こういう男たちを見ていると、本業の方で一体僕たちは何をやっているんだろうと考えさせられる。また僕の旅好きの虫がうずき始めた。絶え間なく移動しつつ毎日新しい物事を目にするのは本当にすごいことに違いない。それも彼らの移動する距離だ。実にタフな奴らだ……本当に感激させられる……あんなすごい目的を持って今まで登って来たんだもの。あのような比類ない男たちの自信に満ちたチームと会うチャンスにめぐり合えて僕は幸せ者だ。幸運を祈ってるぞ、みんな。稚内とそれから日本の先端まで行ってらっしゃい!…ハッチ

(mailto:events@outdoorsig.com)

10月28日 日曜

259日目

日記の日

トム-僕たちは遅くまで起きていたんだ。一番やりたくない事と言ったら早起きしてウェッブサイトの過去一ヶ月の日記の更新だ……でもやってしまわねばならない。

家の中は床の上も廊下もソファーの上も、寝ている人間で一杯だった。でも何とか静かな場所を確保し仕事に掛かった。12時までにはほとんどが帰って行った。ランチキパーティの跡そのままにね。午後一杯僕たちはキーボードを叩いたり、掃除をしたり、残り物を食べたりして過ごしたんだぞ。イングリッドは世界相撲選手権大会を見に出かけた。(日本が優勝だ)僕はその後彼女と会って一緒に教会に行くつもりだったんだけど、5時になった時には立ち上がる元気もほとんどなくて男連中とビデオを観ることにした。イングリッドが帰ってくると僕たちは遅くまでおしゃべりをした。もっとも僕はソファーの上で寝てしまったんだけどね。(だめな奴だなあ)

10月29日 月曜

260日目-30.5km

八甲田山荘

トム-予定では5時半に起床し、朝食を準備して荷物を詰め7時までには出発のつもりだった。それが僕とベンは目覚ましがなっても気づかずに寝過ごした。(ポールはちゃんと起きた)トーストを一枚かじると持ち物を全部詰め込み、7時15分にあわてて飛び出した。イングリッドが親切にも土曜日に僕たちが歩いてきた地点まで車で送ってくれると言ってくれていたんだ。土砂降りの雨の中僕たちはさようならを言うと、彼女が走り去るのを見送った。乾いたうちの中がうらやましかったなあ。

その日は一日中八甲田山に向かっての道路歩きで過ごした。運がいいことに午後は天候も回復した。僕はポールというアイルランド人の友達が作ったMDを聴いていた。(やあ!元気かい?)2時までには登山口に到着してズボンを着用していた。気温が10度を下回っていたんだ。山道をたどっていくと湿原地帯を横切り、そのあと峰に向かっての急登が続く。ハッチ(僕らの八甲田山の顧問だ)が言っていた山小屋に到着した時には日が沈もうとしていた。

このときには凍えるような寒さで周囲は霜でおおわれていた。僕は小屋に入るとへなへなになってしまって、ポールとベンがうまそうなパスタ料理をしてくれるのを眺めていたんだ。僕には睡眠が必要だった。7時半までには気絶状態で寝てしまった。

八甲田(1636m-91番目の山)

10月30日 火曜

261日目-32.5km

The team at the top of Mt Hakkodaポール-僕の鼻は一晩中まるで水道の蛇口みたいだった。どうもこの週末に風邪をもらったらしいや。-本当、うまい手だよな。朝の眺めはくっきりしていた。地面は凍りつき木々の葉は霜でおおわれ、頂上への登山道を示すロープには風上の方向に数インチもの厚さの氷の塊が出来ていた。岩木山が雲の層を通してすっくと立っていた。八幡平だろうと僕たちが見当をつけた見栄えのしないこぶになった峰も同様に見えていた。風が冷たかったので感嘆すべき美しい眺めが広がっていたにもかかわらずそうぐずぐずしていられなかった。

A cloudy view through the peaksその日残りの午前中は無理を押したり、滑ったり、頭を下げたりしながらこの有名な山のあまり人が通らない側の登山道を降りていった。今回もまた(岩手山の時と同様)全体としての歩行距離と所要時間を稼ぐためにあまり人が歩いた事がない道をたどった。頂上を降りてきたふもとで陽光のもと午前の小休止を取っていると助手席に女性の等身大のポスターを乗せたトラックが通りかかり大いに面白かった。人生を現実に引き戻すのはこういうちょっとした愉快な事なんだよな!

Ben and Paul plod on山から道を切り開きながら何とか抜け出し、本州の先端部そして北海道へ渡るフェリーへとつながる低地まで降りてくるのにその日一杯かかった。ハッチは僕たちがその晩宿泊できるようにあるJETの名前と電話番号を教えておいてくれたがその人が車で僕たちを迎えに来てくれて、翌朝また車に乗せて行ってくれるというのでなければそこに行き着くことも出来やしなかった。

電話してみる価値があるかどうか考えながらスーパーを捜しながら街をぶらぶらと歩いて行った。行けども行けども全然スーパーの見つからない道を(ともかくまだその町の中だったが)歩いていたら、ばったりフィルに会ったんだ。彼は「がり勉野郎」になろうって訳で、学校に戻って前から準備していた授業を受けるつもりだったんだ。でも喜んで予定を変更して僕たちをスーパーまで歩いて連れて行ってくれた。(僕たちが向かっていたのとは正反対の方向だったよ)それに僕たちがその晩どこに泊まるのか決まっていない事を知ると彼の家の床を提供しようと言ってくれて、ビールまでおごってくれたんだぜ!

10月31日 水曜

262日目-40km

盛り上がらない一日

A welcome respite on the computer games with Philポール-ビールを何杯か飲んで2時間もクレイジーなコンピューターゲームをフィルにカムやマーカス(2人はフィルの隣のピンク色の団地に住んでいるJETの仲間だ)とやったと思うと寝ぼけまなこのフィルに起こされた。彼は僕たちを時間どおりに起こそうとしてちょっと早めにセットしようとしたのに、もっと早い時間に目覚ましを合わせてしまったんだ。

 Paul reads and walks on a long, long road素敵な朝だったんだけどまだ日本の道路歩きに復活というには程遠かった。僕たちみんなくたびれていたし、ベンの足はまだ少し彼を悩ませていた。それに僕は気分が良くなかった。実際一日中ほとんどおしゃべりすることもなく僕たちそれぞれぐずぐずと自分の世界に引きこもっていたんだ。僕は午前中ほとんど本を読んで過ごした-自分がどこを歩いているのかまったく見ていなくても舗装道路上なら一列縦隊になって歩くのはびっくりするくらい簡単に出来るよ。

Ben shows off a very large icicle昼までには僕たちは海岸に着いた。地図で見ると僕たちは海のすぐ側を歩いていることになっていたんだ。実際には午後中海から500メートルも離れていないところを歩いていたにもかかわらず海が見えたのは一度か二度だった。海はほとんど木々や連なる草原や家々の陰に隠れて見えなかった。残念。

歩いていたら夜になってしまった。これからは午後4時半以降まで歩いているといつだってこうだけどね。暗い中を歩くのは難しいんだ。対向車線側を歩くと、ずっと向かってくる車のヘッドライトで目が眩むし、と言って反対車線を歩けば確かにこの点では快適なんだけどそれだけ車にひかれる可能性が大きくなる。どうしたらいいんだろう? その夜は海の目の前で幕営。大きな湾を隔てて青森と陸奥の街の灯りが、頭上には星がきらきらと瞬いている。それにほとんど満月に近い月の光もあってヘッドランプはまったく必要がなかった。

各月ごとの日記―

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